読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

タワシノート

言いたいことがうまく口で言えないから書くことにした

シゲアキさんについて

ジャニーズ NEWS 加藤シゲアキ

※どうやら去年の夏に書いていたもののようです。その下書きに加筆しました。


私はまだNEWSのことについていろいろ知らない部分も多く、詳しく知ってて話せる人もあまりいない。
だから、その知らない部分を少しでも知りたくて、先月号の小山くんから始まったNEWSの1万字インタビューを読んでいます。

2015年7月号、NEWS2人目はシゲアキさんでした。

ずっとなぜシゲアキさんは小説を書くことになったのか、知りませんでした。
雑誌とのちょっとした企画で始めたのかと勝手に思っていて、だから「アイドルが小説書いた」ということに発売当初はすごく心悪く思っていました。
自分の中ですごく精神が尖ってた時期に発売されたので、
「簡単な気持ちで書いてるのではないか」
「単純に芸能人としてのキャラ付けのためだろう」
そう思いながら、書店員のはしくれとして続々入る予約伝票と戦ったなぁ。


それから時は流れ、NEWSにハマり、2015年新年早々「ピンクとグレー」(角川文庫)を購入、読みました。
時間軸がバラバラで(現在と過去が頻繁に行き来する)、話が掴みにくく「読みにくいなぁ」と思いました。現在が主になっていくと、だんだん話の流れに乗ることができました。
最後の章にたどり着くと、物語は一気にクライマックスへと駆けていき、ページをめくる手も止まらない。特に最後の2ページでの表現がとても綺麗で好きです。ラストを美しく彩っていると思いました。
一度読むとあまり読み返さないタイプなのですが、読み返しています。
あの頃は文句ばっかり言ったけど、「読まずに決めつけるな」、つまりそういうことなんだなぁと思いました。本当にごめんなさい。

彼の「書く」ということのスタートが大きな決意だとは思わなかったです。

「6人のNEWSを守るために書いた」
「(約6週間で)小説を書いてこいといわれ、必死になって書いた」

6週間、1ヶ月と少し。

「それだけの時間があれば書けますよ!」と余裕の人もいるでしょうけど、第一稿提出時の枚数はわかりませんが、初めて長編を書き上げるとなると相当な気合いがないと書けないと思います。
通常の仕事(雑誌の取材やラジオ収録など)もあって不規則な生活を送ってらっしゃると思いますし、スラスラ書ける時と言葉が出てこなくて書けない時というのもあったでしょう。それでも書き上げたシゲアキさんの小説にかけた思いの強さは計り知れないです。


この「Myojo」が発売して約1週間ほど経って、初の短編集「傘をもたない蟻たちは」が発売されましたね。
発売告知から、ずっと「性描写もある」と話題になりました。
そこばかり取り上げられるのもどうよって思いますけど。
シゲアキさんの小説はどんどんと世界を広げていっているなと思います。
シゲアキさんの書きたい欲というのはすごく強い物になってるような気がします。

「君はきれいなものばかり見ている。きたないものもしっかり目に焼きつけ、書きなさい」

お世話になった大学の先生に私が言われた一言です。

その指摘を受けたのも、あの尖ってる時期で、
「現実でクソみたいな扱い受けてるのに、どうしてそのことを書かなきゃならんのだ。小説の中でさえ夢を見させてくれないんだ」
と心の中で叫んだ私ですが、
「きれいなものばかりだとリアリティに欠けて、物語に引き込まれない」
じゃないかと最近思いました。
「この作品には美しさしかない」と思う作品にもきっと少なからずリアリティさはあって、知らず知らずのうちにみんなそのリアリティを感じとり、時にその思いや環境に自分を重ね合わせて共感しているんだと。

上はすんでいても、底にはドロドロした沈殿物がある、表には裏がある。物や人に光が射すと陰ができる。二つで一つ。
シゲアキさんはそこもしっかり書きあげ、だからこそファン以外の方も手に取るのでしょう。
あの日、シゲアキさんは去りゆく2人を止めることはできなかった。けれど、本人もインタビュー内でおっしゃっていますが、本を通じて、シゲアキさんを知り、NEWSというグループとメンバーを知ってもらいたいと。

いろんなことが合わさり、あの「ピンクとグレー」が生まれたのかと思うと、胸に響くものがあるし、今しっかりと「NEWSにつながる橋の一つ」になっているのがすごくて。

私は小山くんきっかけでしたが、シゲアキさんの作品に触れ、シゲアキさん本人のことも知りたいと思った一人です。
シゲアキさんにはこれからもアイドルとして輝き続けてほしいし、書き続けてたくさんの物語が読めたらいいなと思います。

 


<おまけ>
※文庫『ピンクとグレー』を読んだ感想をワードに置きっぱなしにしてたので、同時にこの記事に残そうと思います。
ネタバレあります。


事前に得た情報で「前半部分は読みにくかったけど、後半につれて読みやすかった」というのを聞いていましたが、確かにと思いました。そんなめっちゃくちゃ読みにくいわけでもなかったけれど、なんか読みにくさをちょこちょこ感じる。

なんだろう?と自分なりに考えた結論として、過去と現在が行き来する「時間軸」なのかな?と思いました。

現在の姿を描いて、一行開いたら、高校時代の話が出てきて、また一行開いて現在に戻るという感じです。
奇抜ではあるけれど、混乱を招く可能性の高い手法だと私は考えています。
シゲアキさんが、巻末のインタビューでも書いてはるんですけど、「長いと飽きる可能性がある」「どうしてこうなったんだろう?と思わせたい」と。

私が知ってる中での例を出すと、特撮の「仮面ライダーキバ」もそんな感じでした。主人公の生きる現在と主人公の父の若かかりし頃が交互に展開していくんです。毎週30分という短い時間であっちこっちされて、振り回された記憶が……。
たぶん長編の映画だとそういうのはよくあるし、違和感なく観れると思いますが。
時間軸の安定する中盤から読みやすくなるのもなんとなく頷けるかなと。
あと、序盤は表現が一瞬「ん?」となるものが多かったかな。中盤~ラストは表現もかなりわかりやすく、やわらかいものになってたなぁと思います。

時間軸があちこち行くから、
高校時代のバンド名であり、二人の待ち合わせ場所である「「デュポン」ってなんだろう。お店?」
アイドルユニットと香凜の間に~
「香凜って誰や……?出てきたっけ?」
あとのページで説明が入るもんで、あれにはまいった……。
第3章はあれだけ見開き1ページやし、あの時点では「なんじゃ?」でしたけど、第11章ラストでごっちが首吊り自殺したあとのことだったのかとようやくわかる。

ただ、石川(サリー)がまさか女の子とは!
男の子四人かと思ってたから……でも、確かに四人とも男だとは書いてないんですよね!あそこは「やられた!」の一言でした。

りばちゃんの視点で進行していくので、ごっちは身勝手だなと思ってしまう。けど、最終章でその気持ちはりばちゃんとともに少し和らぎました。

りばちゃんとごっちが混ざっていく最後の章。
ごっち役のりばちゃんの妄想なのか、ごっちの真実なのかというところもありますが。
あの台詞の裏には、こんな気持ちがあったけど、それはりばちゃんに伝わらなかった。すれ違っていくもどかしさ。
最後のページの一つ前のところ!華々しさ、神々しさのある、りばちゃんの走馬燈のシーン。296ページの最後の行からラスト298ページの最後の行ですね。作中に出てきた単語たちがステージに集合して、1つのコンサートを行っている。


ごっちのバーターではなく、自分で仕事をもらいたい。
でも、ごっちのようにうまくいかずもがき、嫉妬してしまったり、りばちゃんには苦しいほどに共感してしまいました。

加筆修正前のハードカバー版と比較したいな。